「耳なし芳一の話」ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)

耳なし芳一の話

著者:ラフカディオ・ハーン(小泉八雲、1850-1904)

1904年『怪談KWAIDAN』より

(目次)
1. 下関
2. サムライ
3. ロウジョ
4. 鬼火
5. 聖文

※セクション分けとサブタイトルは筆者によるものです
※訳文の文字数:約10,000字




1. 下関

 700年以上も前に、下関の海峡の「ダンノウラ」で最後の戦いがあった。長い対立が「ヘイケ」と「ゲンジ」の間にあった。タイラ氏族とミナモト氏族である。平家はそこで、決定的に敗れた。女性達と子供達、そして幼かった皇帝も。アントクテンノウとして、今では知られている人だ。
 それで、その海と海岸は、700年のあいだ呪われていた。どこかで私はそこで見つかる不思議な蟹のことを話したが「ヘイケガニ」と呼ばれている。背中に人間の顔があり、平家の戦士達の精霊だとも言われているのだ。
 その海岸では沢山の不思議な事が見聞きされている。暗い夜に何千もの幽霊のような炎が砂浜にただよっている、あるいは波の上をひらひら飛んでいる。これは漁師たちが「オニビ」と呼んでいる、悪魔の炎である。そして風が吹き寄せてくるときにはいつも、巨大な叫び声が海から響く。まるで激しい戦いの絶叫のように。

 その平家だが、今ではずいぶんおとなしくなった。数年前までの彼らなら、船をうかがって底からあがってくる。夜間の通行をねらって、沈めようとするのだ。また彼らは泳いでいる人をつねに見張っていて、海底に引き込む。
 それでそんな死者たちを鎮めるべく、仏教寺院が建てられた。その「アミダジ」は下関すなわちアカマガセキにあり、墓地もその近くにつくられた。海岸近くのそこには記念碑が並んでいて、水死した皇帝、そしてその偉大な家臣たちの名前が刻まれている。仏教式の奉仕が定期的にそこで披露された。彼らの精霊に寄り添ってのことだ。その寺院が築かれて墓石が立つと、平家は前よりも問題を起こさなくなったが、それでも引き続き意味のわからないことを、時々していた。彼らは完全な平穏を、見つけてはいなかったのだ。

 何百年か昔のその赤間ヶ関に「ホウイチ」という盲目の男が住んでいた。彼はその技量で評価が高かった。詠唱とビワの演奏である。幼いころから彼は詠唱と演奏を訓練されていて、少年期のうちにその恩師たちを超えてしまっていた。職業的な「ビワホウシ」として彼は注目を浴びた。特に平家と源氏の歴史の詠唱によって。彼が壇ノ浦合戦を詠った時にはこう言われた「小鬼のゴブリンたちも、涙を抑えられなかった」と。
 そのキャリアの始め、芳一は非常に貧しかった。しかし彼は良き友人に出会い、後援を得た。阿弥陀寺の僧侶は詩と音楽が好きで、よく芳一を寺に招き、演奏と詠唱をさせた。そうしたあとで、その少年の圧倒的な技量に強い感銘を受けていた僧侶は、寺に住み込むよう芳一に勧め、その提案は喜んで了承されたのだった。芳一は寺院の一角に部屋を与えられ、食事と宿泊への返礼として、その僧侶ひとりの娯楽のための音楽公演で応えた。決まった夕方に、他に特別な用事のないときに。

2. サムライ

 ある夏の夜、僧侶は呼ばれて出かけていた。亡くなった教区民の自宅で仏教奉仕があったのだ。彼は助手を連れ、芳一をひとり寺に残した。暑い夜だった。盲目の彼は体を冷やそうと、寝室の前のベランダに出た。下には小さな庭があり、阿弥陀寺の裏手にあたっている。そこで芳一は僧侶の帰りを待ち、自身の孤独を紛らわすべく、琵琶をとって練習をした。真夜中を過ぎても僧侶はあらわれなかった。しかし空気はまだあたたかく、ドアを閉めれば快適ではなかった。芳一はそのまま外にいた。そして最後に彼は、裏門から近づいてくる足音を聞いた。何者かが庭を横切り、縁台の前に出て、そのまま彼の正面に停止した。だがそれは僧侶ではなかった。
 深い声が盲人の名前を呼んだ。簡潔に、典礼的ではなく、サムライが弱者を召喚するときの流儀であった「ホウイチ!」
 芳一は驚きのあまり、しばらくは返事ができなかった。するとふたたびその声が呼んだ。厳しい命令の口調であった。
「ホウイチ!」
「はい!」と盲人は答えた。その声の恐ろしさにおびえていた。
「わたくしは目が見えません。どなたに呼ばれているのかわからないのです!」
「こわがることはなにもない」と見知らぬ者は大きな声で言ったが、紳士的な話し方になっていた。
「私はこの寺の近くにいる。それで一つ伝言があってあなたのところに送られたのだ。私の今の主人、これは極めて位階の高い人物だが、いま赤間ヶ関に滞在しておられる。多くの高貴な人々が同行している。その方が壇ノ浦の戦いの場面を見たいと願っていて、今日その場所を訪れた。以前からあなたの、戦いの物語を詠唱する力量を聞いておられて、あなたの演奏を聴くことを望んでおられる。したがってあなたは自分のビワを持って、私と共にまずは、尊い方々が待つ、その家に来てもらう」
 この時代、サムライの命令は、たとえ軽い気持ちであっても従わない、というわけにはいかないものだった。芳一は草履を履き、琵琶を持ち、その見知らぬ男と共に出かけた。男は芳一を器用に先導したが、きわめて速く歩くことを強いた。先導するその手は鋼鉄であった。そして戦士の大きな歩幅が響かせる金属音から、彼が完全に武装していることがわかった。おそらくは宮殿の警護のような任務なのだろう。
 芳一の最初の警鐘が鳴りやんだ。彼は自分が幸運の中にいるように想像し始めていた。なぜなら「極めて位階の高い人物」であるとその家臣が保証したではないか。彼は考えた。詠唱を聴きたいと願うその主人が、最高位の大名よりも格下ということはありえないと。やがてサムライは停止し、芳一は自分たちが大きな門に到着しているようだと気付いた。へんだな、と彼は思った。なぜなら阿弥陀寺の正門は別として、町のその一角に大きな門というものがあったのか、彼には記憶がなかったからである。侍が呼びかけた「カイモン!」

 何かが開け放たれる音があり、両者はそこを通り過ぎた。二人は庭園のような空間を通過し、入口らしいところの手前でふたたび停止した。家臣が大きな声でわめいた「ナカへ!ホウイチを連れてきた」緊急の足音、幕が滑る音、雨戸が開く音、女性たちの会話音。女性の言葉から芳一は、それが何か高貴な家庭に住み込んでいる人々なのだと知った。推測に許された時間は短かった。

3. ロウジョ

 手伝われながら石の階段をいくつか登ると、その最後の段で草履を置くように言われた。一人の女性の手が彼を導き、どこまでも続く、磨き上げられた板張りの通路を進んだ。円柱を配した記憶できないほど数多くの曲り角、そして規格外に驚異的な広さの、敷物の床。何か広大な集合住宅の中心部に入り込んだのだ。数多くの偉大な人々が集まっている、と彼は考えていた。絹がさらさらとこすれあう音は、森の中の木の葉の音のようだった。さらに、口を閉ざしたまま発せられる重厚な声の合唱が聞こえた。声を落とした話し声。談話は宮廷の談話であった。
 芳一は楽にするよう言われ、気が付くと膝に当てるクッションが用意されていた。その上に位置を占め、楽器の音を合わせると、女性の声がした。ロウジョだ、と彼は直感した。女性の業務を統括する女主人である。それが彼の名前を呼んで、言った。
「今ご所望がありまして、ヘイケの歴史ウタわるべし、ビワもたずさえて、との由」
 そうなると詠唱全体には多くの夜を要する。そこで芳一は思い切って質問をした。
「物語をすべてとなるとすぐには語れません。どの部分をそのお方様はご所望なのでございましょうか。それをここで詠いましょう」
 女性の声が応えてくれた「壇ノ浦での戦いの物語の詠唱を。悲哀が最も深いですから」

 芳一は声の調子を上げた。そして過酷な海上での戦闘の歌を詠った。驚異的に琵琶を操り、音で表現した。軋むオール、殺到する船舶、矢がうなりをあげヒュッと目の前に、男達の叫喚と蹂躙、ヘルメットに衝突する鉄、息絶えた者が海に落ちてゆく。
 芳一の左から右から、演奏の途切れ目に、低い称賛の声が聞こえた。
「何と素晴らしい芸術家だ!」
「我々の知る限り、こんな演奏は聞いたことがない!」
「帝国すべてにおいて、ホウイチのような詠い手はいない!」
 新鮮な勇気が芳一をとらえた。そして彼は、今までになく上手く演奏し歌唱した。芳一への驚愕が、沈黙を深くした。しかし最後に、芳一は公正と無援の運命を語ることになる。女性達そして子供達の哀しい滅び、ニイノアマの死の跳躍。二位の尼の腕には皇帝の幼子がいた。そこで全ての聴衆が一度に口を開いた。身を震わせてずっと、ずっと泣いていた。彼らは苦悩していた。そして涙を落とし、割れるように泣き、獣のように吠えた。みずからつくりだした悲しみの暴力に、盲人はおびえた。すすり上げる音、泣き叫ぶ声が延々と続いたが、徐々に悲嘆の響きは消えていった。そしてふたたび、それに続く重い沈黙の中で、老女だと察したその女性の声を聞いた。
 彼女は言った。
 あなたが琵琶においてまちがいなく非常に有能な演奏家であるとわたくし達は知らされていたが、人がそこまで有能になれるとは、わたくし達は知らなかった。それをあなたは今夜、ご自身で証明してくれた。わたくしどものあるじはおよろこびになり、あなたにはふさわしい報酬を授けようとの仰せである。ただし彼はこう望んでおられる。あなたは本人の前でこれから毎晩、明日からの六回の夜、演奏をするのだと。その後で、彼はその尊い帰還の旅をすることになるでしょう。明日の晩は、それゆえ、あなたはここに、同じ時間に来ることになります。今夜あなたと案内した家臣が、あなたのところに送られるでしょう・・・もう一つお話があります。こちらについては、わたくしからあなたへお知らせするよう、命じられております。これはご要望なのですが、あなたは、ご自身がここを訪れたことを、どなたにもお話すべきではない、ということです。これは、わたくしどもあるじの尊いアカマガセキご逗留の期間でのことです。彼は匿名でご旅行中ですので、そのことへの言及はなきようにとの指示なのです・・・ではあなたはご自由です。お寺へお帰りいただけます。

 芳一が正式に謝意を表すると、別の女性の手が彼を屋敷の入口へと誘導し、そこには前と同じ、芳一を案内した家臣が彼を帰宅させるべく待機していた。家臣は芳一を、寺院の裏手のベランダへと導き、そこで別れを告げた。

4. 鬼火

 芳一が帰った頃には、もう夜が明けようとしていた。けれど彼が寺院からいなくなっていたことは知られていなかった。僧侶が帰ったのは非常に遅い時間で、彼が眠っているものと思っていたからである。昼のうちに芳一は少し眠ることができた。彼はその不思議な冒険について何も言わなかった。そして深夜になると、あのサムライがふたたび彼を迎えに来て、高貴な人々のところへ導き、そこで彼はまた別の詠唱を演じ、前回のパフォーマンスの結果と同様に成功した。
 しかしこの二度目の訪問のあいだに、彼が寺院からいなくなっていることが、知られてしまった。そして朝になって帰ると、彼は僧侶のいる前に呼ばれた。𠮟責とはいっても親身な口調で、僧侶は言った。
「われわれはすごく、あなたを心配していたよ、芳一君。出かける、見えないのに一人で、時間もすごく遅い。これは危ない。どうしてあなたは、我々に言わずに行ったのか?私が言って使用人を一人つけてやれた。それに、どこへ行っていたんだ?」
 芳一は答えたが、ごまかそうとしていた。
「申し訳ございません!ご親切に。わたくしごとの仕事がありまして、出席せねばならず、その用件は他の時間に合わせることができませんでしたので」
 僧侶は驚いた。不愉快というのではなく、芳一がきちんと話そうとしないからであった。彼はそれを不自然に感じ、何かおかしいと疑っていた。彼が恐れていたのは、盲目の若者が何か邪悪な精霊に憑りつかれている、あるいは欺かれているのではないかということだった。僧侶はそれ以上の質問をしなかったが、寺で働いている男達にたいして、芳一の動きをずっと見ているように、そしてもしも日没後にまた寺院から出てゆくことがあったらあとをつけるように、と個人的に指示した。
 まさに次の晩、芳一は寺を出てゆくところを見られた。使用人はすぐにランタンの灯りをつけ、彼のあとを追った。しかし雨の夜で、非常に暗かった。それで寺のものが車道に出る前に、芳一は姿を消した。明らかに彼は、非常に速く歩いていた‐奇妙な事であった。彼の目は見えないのであるし、道の状態は悪かった。男達は急いで通りを抜け、芳一がよく訪れていた家を一軒一軒たずねていったが、誰も彼について何らかの知らせをもたらせなかった。
 しかし帰り道、海岸沿いの道を寺へと向かっていた彼らは仰天した。琵琶が、荒々しく奏でられていた。阿弥陀寺の墓地の中であった。暗い夜にはめずらしくない鬼火のほかには、そちらの方角はすべてが漆黒であった。それでも男達は墓地へと急行し、ランタンの助けを借りて、芳一がそこで、一人で雨の中、安徳天皇の墓標の前に座っているところを発見した。琵琶を鳴り響かせ、割れるような声で壇ノ浦合戦の歌を詠っていた。そして彼の背後に、また彼のまわりに、さらにあらゆる墓石の上に、死者の炎が燃えていた。まるでロウソクのようであった。これほどとてつもない大群の鬼火が、生きた人間の目の前にあらわれたことは、これまでに一度もなかった。
「芳一さん!芳一さん!」使用人が叫んだ「あなたは憑りつかれているんですよ!芳一さん!」
 しかし盲人は聞こえていないようだった。力強く彼はその琵琶をガラガラと、リンリンと、カンカンと響かせ、さらにさらに獣のように壇ノ浦合戦の歌を詠った。男達が彼の耳の中に叫んだ「芳一さん!芳一さん!一緒に帰りましょう、すぐに!」
 彼等に反省を促すかのように、芳一は言った。
「そういったやりかたでわたくしに干渉なさるとは。この尊いお方々の前で、容認ならないでしょう」
 こうなると、その怪異はともかく、使用人達は笑うしかなかった。確実に、彼は憑りつかれているのだ。それで彼等は彼を押さえ、引き上げて立たせ、強制的に寺院へ急ぎ帰らせた。彼はすぐに濡れた服を脱がされ、僧侶の指示により新しい服を着せられ、食べさせられ飲まされた。
 それから僧侶は、友の驚くべき行動について、すべて説明してほしいと主張した。芳一は長い間ためらっていたが、ついに彼は、自身のしたことが本物の警鐘を鳴らしてしまったこと、そして僧侶を怒らせてしまったことを悟った。彼は心を決めて保留を放棄し、初めてサムライが訪れたその時から、何が起こったかを全て話した。
 僧侶は言った。
 芳一君、気の毒に。君は今たいへん危険なことになっています!さきにこのことをぜんぶ話してくれなかったのが、どれほど残念だったか!君の素晴らしい音楽の力量が、じっさいは奇妙なトラブルに君を引き込んでいる。今になれば気が付いているはずだ、どんな家であれ、行ってはいないと。君はそうではなく墓地で夜を過ごしていたんだ。平家のお墓のなかで。そして今夜、安徳天皇の追悼碑の前で、うちの者たちが君を見つけた。雨のなかで座っていた。君が思い描いていたものは全て幻覚だよ。亡くなった人が呼んでいたことだけが本当だ。いちど彼らに従ったことで、君は自分を彼らの力のもとに置いた。もし君がまた彼らに従うなら、すでに起こったことのあとで、彼らは君をばらばらに引き裂くだろう。しかしどうあっても彼らは君を壊しただろう。時間の問題で、どの出来事の中でも・・・それで私は今晩、君と一緒にはいないことになっている。また奉仕を披露するので、呼ばれています。だが、出かける前にやっておかなくてはならんな。君の体を守るために、神聖な文字をそこに書いておく。

5. 聖文

 日没の前に、僧侶と助手は芳一を裸にした。それから、書記用の筆で彼をなぞっていった。胸から背中、頭と顔と首、腕と手と足、足の裏まで、体のあらゆる部分をなぞった。神聖なスートラ「ハンニャ・シンキョー」の文言であった。これが済んでから、僧侶は芳一に教えを授けた。こう言った。
 今夜は、私が出かけたらすぐ、君はベランダに座らなくてはいけない。そして待ちなさい。呼ばれるだろうが、何が起こっても答えてはいけない。そして動いてはいけない。何も言わず、じっと座っている。瞑想と同じだ。少しでも動いたら、あるいは音を立てたら、君はずたずたに引き裂かれるだろう。怖がってはいけない。また助けを呼ぶことを考えてもいけない。どんな助けも君を救えないからだ。もし君がきちんと私の言ったとおりにしたら、危険は去るだろうし、君はもう何も恐れることがないだろう。

 日が暮れると僧侶と助手は出て行った。芳一はベランダに座った。与えられた教え通りにしたのだった。琵琶を横の板張りに置き、瞑想の態勢に入った。完全に不動を保ち、咳をしないように、あるいは音を立てて呼吸をしないように、気を配った。数時間、そうしていた。
 やがて車道から、やってくる足音を彼は聞いた。それは門を通過し、庭を横切り、ベランダに近づき、彼の正面に止まった。
「ホウイチ!」深い声が呼んだ。しかし盲人は呼吸を保ち、動きを止めて座っていた。
「ホウイチ!」厳しい声が呼んだ。二回目であった。そして三回目は、野生動物のようであった。
「ホウイチ!」
 芳一はそのまま石のようにじっとしていた。くぐもった声がした。
「答えがない!そんなはずはない!仲間がどこにいるのか、見えるはずなのに」
 重量のある足が、ベランダに上がってくる音がする。その足は慎重に接近し、芳一の横で停止した。そこから、長い時間があった‐心臓の鼓動とともに体全体が震えているように感じられた‐死のような沈黙があった。
 やがて、それはぼそっとつぶやいた。近くにいた。
「ここに琵琶がある。しかし琵琶の奏者は、二つの耳しか見えていない!・・・だから彼は返事をしない、ということなのだ。口がないから答えがない‐彼は何も残していないが、耳だけは・・・では、あるじどのにはこの耳を、お持ちしよう。ご尊命は、なしうる限りにおいて果たされた。これが証拠である」
 その瞬間に芳一は、自分の耳が鋼鉄の指でつかまれもぎとられるのを感じた。痛みがどれほどとてつもないものであれ、芳一は泣かなかった。重い足音がベランダを遠ざかり、庭のなかに下り立ち、車道に抜け、消えていった。
 頭のどちら側からも、とくとくと濃いあたたかいものが流れ出しているのを、盲人は感じていた。しかしその手をあげようとはしなかった。

 日の出の前に僧侶は帰還した。まず裏のベランダに急ぎ、入ると何かぬるぬるしたものを踏んで滑り、恐怖の叫びをあげた。ランタンの光に照らされた血を、彼は見た。しかし芳一はそこに座っていた‐瞑想の姿勢で、血液はまだその傷口からにじみでていた。
「芳一よ、なんということだ!」驚愕した僧侶は叫んだ「これは何だ?怪我をさせられたのか?」
 友人の声の響きに、盲人は安堵を感じた。たまらずすすり泣きをはじめ、涙を流しながらその夜の冒険を話した。
「なんてことだ、なんてことだ芳一!」僧侶が声を張り上げた。
 ぜんぶ私が悪い!私はとんでもないことをした!すべて、君の体には神聖な文言が書かれていたのに、耳だけには!私はその部分の仕事を助手に任せたが、私の、私の間違いで彼がそれをしたのか確認しなかったのだ!
 しかし、このことはもう仕方がない。我々にできるのはただ、君の心をできる限り一刻も早く癒すことだ。友よしっかりしてくれ!危険はもう、なんとか過ぎ去った。今後は決して、あの客人たちに煩わされることはない。

 良医の助けもあり、芳一はすぐに怪我から回復した。彼の不思議な冒険の話は遠く広く伝わり、すぐに彼は有名になった。沢山の名族たちが赤間ヶ関に来て彼の詠唱を聴き、多額の贈与が彼に与えられ、それで彼は裕福になった・・・けれどその冒険の時から、彼はこの呼び名でのみ、知られるようになった「ミミナシホウイチ」
 耳持たぬ者、芳一と。

by
Lafcadio Hearn (Koizumi Yakumo)
from Kwaidan (1904)


原文抜粋(冒頭と末尾のみ)
(冒頭)
MORE THAN SEVEN HUNDRED YEARS AGO, at Dan-no-ura, in the straits of Shimonoséki, was fought the last battle of the long contest between the Heiké, or Taira clan, and the Genji, or Minamoto clan. There the Heiké perished utterly, with their women and children, and their infant emperor likewise--now remembered as Antoku Tennô. And that sea and shore have been haunted for seven hundred years. . . . Elsewhere I told you about the strange crabs found there, called Heiké crabs, which have human faces on their backs, and are said to be the spirits of Heiké warriors. But there are many strange things to be seen and heard along that coast. On dark nights thousands of ghostly fires hover about the beach, or flit above the waves--pale lights which the fishermen call Oni-bi, or demon-fires; and, whenever the winds are up, a sound of great shouting comes from that sea, like a clamor of battle.
(末尾)
With the aid of a good doctor, Hôïchi soon recovered from his injuries. The story of his strange adventure spread far and wide, and soon made him famous. Many noble persons went to Akamagaséki to hear him recite; and large presents of money were given to him--so that he became a wealthy man. . . . But from the time of his adventure, he was known only by the appellation of "Mimi-nashi-Hôïchi": Hôïchi-the-Earless.

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