「菊姫」中国古典『聊斎志異』より
菊姫
中国古典『聊斎志異』(りょうさいしい)より
著者:蒲松齢(ほ・しょうれい)1640-1715
原題「黄英」(こうえい/ファンイン)
参照文献:岩波少年文庫『聊斎志異』「菊の姉弟」立間祥介訳
イラストが入っていて訳文も読みやすいです
《目次》
1. 出会い
2. 陶三郎
3. 黄英
4. 菊精
訳文:約6,000字
原文:約2,400字
※章区分とサブタイトルは筆者によるものです

1. 出会い
馬子才(ま・しさい)は北京の人である。菊を愛する家柄だったが才の代になってそれが最も強くなった。良い品種があると聞けば必ずそれを買う。千里でも気にしない。
ある日南京からのお客様がその家に滞在していた。その人の話では、身内が一つ二つ品種を持っていて、それは北の地方にはないものだという。馬は飛び上がり即座に旅装して、その客人に従って南京に到着した。客人は多くの人に聞いてそれを探してくれた。一対の苗を得て、宝物のように梱包した。
帰る途中で、一人の若者に出会った。遅い馬にまたがり、艶やかな緑青色の女車に従っている。美のオーラが華麗に、こぼれるように発散されている。だんだんと近づいて話すと、若者から言った。
「陶(とう)と申します」
色々と話したが、みやびていた。それで馬がどこから来たのかを聞かれたので、ありのままを告げた。若者は言った。
「品種に劣ったものはありません。世話と水やりにその人があらわれるのです」
そこから菊の栽培法について共に論じた。馬は大いに喜んで、聞く。
「これからどちらへ?」
答えて言う。
「姉が南京を嫌いです。住まいを占術で決めたいというのですが、北京郊外だけです」
馬は躍り上がった。そして言う。
「僕はもとから貧ではありますが、かやぶきの家なら寝起きはできます。荒涼が嫌いでなければ他にわずらわしいことはありません」
陶はさっと車に近づき、前を行く姉に相談した。車中の人がすだれから話す。二十才くらいの絶世の美人である。弟を振り返って言う。
「家屋が質素なのは嫌でないですが、広いところだと良いです」
馬が代わりにこれを承諾し、無事に一緒に帰った。屋敷の南に荒れた土地があり、小屋が三つ四つだけある。陶は喜んでそこに住んだ。北の敷地で日々を過ごし、馬の菊を治療した。菊は枯れなくなり、根から抜いて植え直すと、しおれたものはなくなった。家は清貧だったので、陶は日々馬と共に飲んで食べたが、その家にはカマドがないも同然であることを察していた。
馬の妻の呂もまた、陶の姉を愛した。時を選ばずマスやお椀で彼女に食べ物をおくった。陶の姉は呼び名を黄英といった。雅びやかに行儀よく語り合い、そのたびに呂のところで過ごし、一緒に糸を紡ぎ布を織った。
2. 陶三郎
陶はある日、馬に言った。
「君の家はもともと豊かではありません。僕は日に日に口も腹も親友の荷物になっている。どうしてこんなことをずっとできるでしょうか!それで今、菊を売って生計の足しにしようと思っています」
馬はとっさにさえぎった。陶の言葉を聞くとあまりに卑しい。言った。
「僕にとって君は風流と雅びの人だ。貧に安んじられる資格のある人だ。けれど今そう論じた。それは菊を摘むべき東の垣根を世俗にする。それで花をけがすこともあるだろう」
陶は笑って言う。
「自分で食べて行くための働きは貪欲のためではありません。花を売るのは生業だからであって、俗益のためではありません。もちろん人は見苦しく富を求めるべきではないですが、貧を求めなくてはならないというわけでもありません」
馬はだまっていた。陶は立って出た。ここから馬が捨てた残枝や劣種を、陶は全て拾い取りそして去った。そのためもう馬のところで寝食することはなくなったが、招けばもとに戻った。
まだいくつかの菊がまさに開こうという時、その門に市のような喧騒を聞いた。これをあやしんで、悪いけれど覗いてしまったが、見たのはまさに市で、来た人が花を買い、車に乗せ肩に負い、道にあふれているのだ。その花はみな尋常でない品種で、自分の目に映ったことがない。内心その貪欲さがいやで絶交したかったが、しかしまたそうして良種を個人的に隠しているのも気になっていた。結局はその扉を叩いて、なかったことにしようとした。
陶は出てきて、手を握って引き入れた。荒れていた庭を見ると、土地の半分ははみな菊の畑になっていて、数棟の他に空地はなかった。掘り取ったものはそのまま折って別の枝を挿してこれを補い、つぼみがうねにあっても美しさ面白さのないものは網で隠してあり、またそれをよく見ると、どれも皆そこに抜いて捨てたものだった。
陶は部屋に入り、酒と料理を出し、畑の側に席を作り、言った。
「僕の貧は清い戒めを守ることができません。さいわいここ数日で多少のお金を得たので、存分にお供えして酔えますよ」
少しして、部屋の中で呼んだ「サンロウ」
陶はハイと言って行った。急いで捧げ持ってきた美味しそうな肴は、煮たものも炊いたものも、細かいところまで見事に配慮されていた。それで聞いてみた。
「あなたのお姉さんはどうして苗字を変えずにいるの?」
答えて言う「時がまだ至りません」
問う「いつ?」
言う「四十三か月」
また問う「どういうこと?」
笑うだけで言わない。そのまま楽しく飲んで終わった。泊めてもらって後日またそこを訪ねると、新しく挿したものはちょうど背丈が満ちたところで止まっていた。これがあまりにも不思議で、なんとかその技術を教わろうとしたが、陶は言った。
「これはもとより口伝すべきものではありませんし、さしあたり君はそれで生計を立てようというのではないのだから、なんでまたそれを使うのですか?」
また数日たって、門前はがらんと淋しくなったが、すると陶はガマ草のむしろで菊を包み、数台の車に積み込んで出発した。年が過ぎ、春を迎えようとするころ、南部地方から珍しい草木を積んだ車が戻り始めた。街なかに花の店を開き、十日でことごとく売り尽くし、また菊の栽培に戻った。それを訪ねた去年の花を買った者は、その根をそのままにしていたが、次の年にはどれも劣化していたので、それをまた陶のところで買った。
陶はこれによって日ごとに富んだ。一年で建物を増やし、二年で新たな家屋を建てた。気の向くまま心のままにそれを行い、主人に何か相談するということは特になかった。そうするうちに、かつて花の畑だったところは全て通路や小屋になった。さらに塀の外に一区画の土地を買い、四方に囲いを築き、一面に菊を植えた。秋になると花を積んで去り、春まで帰らなかった。
そのうちに馬の妻が病気で亡くなった。黄英には思いを寄せていたので、ひそかに人を通じてそのことを、それとなく知らせた。黄英は少し笑って、許可の意を示した。ただし陶が帰る時節、それのみ。
一年あまり、陶はついに帰らなかった。黄英は使用人に菊を植えるよう指示した。陶と同じであった。金益を得て商売を広げ、村外に二十所の美田を管理し、邸宅はますます盛んであった。そんなときに客人があった。南京よりもさらに西から来ていて、陶氏の書簡を届けた。開けてみるとそこに「姉に頼む、馬に帰せよ」と。その書面の日付を考えると、ちょうど馬の妻が亡くなった日だった。この地で酒を飲んだ思い出の日から、まさに四十三か月である。じつに不思議であった。書面を英に示し、請うて問う「お招きはどこへ」英は辞退し受諾しなかった。また古い住まいは狭いからと、南の屋敷への就居を欲したが、これは贅沢であった。馬はそれではいけないと、吉日に妻を訪ね、礼をもって迎えた。
黄英はすでに馬になじんでおり、間の壁に扉を開け、南の屋敷へ通れるようにして、日々その従者を使った。馬は妻の富を恥じ、いつも黄英に、南は農地にして北に住むようにと頼み、それによって混乱に逆らった。それでも家で要るものがあれば、黄英はすぐに南屋敷から取ってきた。半年もせずに、家中の物品はみな陶家のものになった。馬は立って人をやり、いちいちそれを持って帰らせ、もう二度と取ってくるなと注意したが、十日もしないうちにまた混ざってきた。だんだん数が増え、馬の悩みは尽きない。黄英が笑って言う「やせがまん陳仲子氏の母の労か?」馬は恥じ、二度とあれこれ言うことなく、すべて黄英の言うことを聞いた。職人を集め資材を揃え、大規模な工事をしたが、馬は止めることができなかった。
数か月が経つと、楼閣が垣根を連ね、二つの屋敷には境界がなくなって一つになり、見分けがつかなくなったのだった。そうして馬の教えに従い、門を閉じて菊業には戻らず、しかも享楽が過ぎるという名家ぶりであった。
馬はこれでいいとは思わず、言った。
「僕は三十年清徳、あなたのためにここ累々となった。今は見て息するだけの人間で、ただスカートベルトに従いかつ食べる、真に一毛の男気もなしかな。人みな富を祝う、我ただ窮を祝うのみだ!」
黄英が言う。
「妾は貧でも鄙でもない。ただし豊満に足りない、ついに千載の使用人に命じた。詩人陶淵明が言う、貧賤の骨は百代に発跡能わず。故にさしあたり我が家なすところ古人彭澤氏の言い訳のみ。それで貧者が富を願えば難しく、富者が貧を求めるはもとよりまたとてもたやすい。枕元の金を君に渡せばこれを振り捨てる。妾は吝ではないです」
馬が言う「他人の援金、また良か醜か」
英が言う「君は富を願わない、妻また貧できない。きりがない、あなた別居しましょう。清い者は自ら清く、濁る者は自ら濁る。何が悪いか?」
こうして園中に茅と茨の家を建て、美婢を選び馬に仕えさせる。馬はそれでいいと思ったが数日が過ぎて、黃英が気になって苦しい。招くのはいけない、それなら訪ねるしかない。やがて宿するに至りそれが常となる。黃英が笑って言う「東の富豪で食し、西の美男に宿す。清廉の富はこの如くあらず」馬も自笑し反せず、ついに再び同居となり始めの如し。
馬に用事のある客人がいて、南京で会った。ちょうど菊の秋だった。急いで歩いていると花屋がある。店の中を見ると鉢の列が見事に繁っていて、丁寧に枝垂れた絶景である。心が動いて思った、これは陶が育てたのではないか。少しして主人が出てくると、果たして陶であった。喜び極まって、その道の契りは寛く、遂に止まりそこに宿した。帰るよう求めると、陶が言う。
「南京は我が故郷、まもなくここで結婚します。薄いお金が積み重なっていますから、お手数ですが我が姉にお送りください。自分は年の末になったらしばらく帰ります」
馬は聞かず、ますます必死に頼んだ。さらに言う「家には幸せが充ち溢れている、ただ座っているだけでいい、もう売らなくてもいい」
店の中に座り、従者を使って値段を変更し、そのまま安くして、数日でことごとく売った。荷物と服装を迫り促して、舟を雇って北に着いた。門を入ると、すでに姉は部屋の掃除を終えていて、寝台寝具みな整えてあり、まるであらかじめ弟が帰ると知っていたようだった。
陶は帰ると、旅装と荷物を解き、小屋と庭園を大改修し、日々馬と共に碁を囲み酒を飲み、さらに未知の客人とは交わらなかった。このため結婚は辞して願わず、姉が女性を二人その寝室に送り、三四年のうちに女の子が一人。
陶は飲むこともとより豪で、したがってその深酔を見ることはなかった。友人がいて曾といい、これもまた無双であった。馬ではかなわなかったので、馬は陶と同席させて互いに飲むのを比べさせた。二人はどんどん飲んでとにかく喜んで、互いに会うのが遅かったと悔やんだ。朝の八時から煩悩の尽きるまで、それぞれ百壺分すべてに達した。曾は爛酔して泥のようになり、座敷で沈睡した。
陶は起きて寝に帰った。門を出て菊のあぜ道を踏んでゆくと、玉の山は傾き倒れ、服を横に置いたまま、そのまま地上で菊に変わった。高いこと人間のようであり、花が十あまり、みな大きくて拳のようである。馬は驚愕し、黃英に知らせた。英は急いで来て、抜いて地上に置いて言った「どうしてここまで酔った!」
服で覆い、馬に立ち去るよう求め、見ないようにと戒めた。すでに明けてまた行くと、陶があぜに臥せていた。
馬はそのときに悟った。姉弟はふたりとも菊の精なのだと。そして益々彼らを敬愛した。
こうして陶は自ら正体を露し、ますます飲み放題となり、常に自ら手紙を折り曾を招き、よって共に逆らうことなし。花の頃になり、曾が来訪すると、二人の使用人に薬浸の白酒を一壇に担がせ、共々にことごとくしようと約束した。壇まさに渇し、二人はなおまだひどくは酔っていなかった。馬が密かに一瓶を注ぎ足すと、二人はまた完飲した。曾は酔ってすでにつぶれていたので、男達がこれを背負って帰った。
陶は地面に臥せ、また菊に変わった。馬は見慣れていたから驚かず、作法どおりにそれを抜くと、傍らで見守ってその変化を観察した。しばらくすると、葉はどんどん憔悴していった。大いに畏れ、ようやく黄英に告げた。英は聞くと愕然として言った「私の弟を殺したのです!」
走っていって見ると、根株はすでに枯れている。痛絶の気持ちで、その茎を爪先で摘んで、盆の中に埋めて、奥の間に運び入れ、日々これに水をやった。馬は悔恨で死にたくなり、曾を深く恨んだ。数日がたって、聞けば曾はすでに酔って亡くなったという。
盆中の花はしだいに萌え、九月にはすでに開いて、短い幹に純白の一輪。これをかおると酒の香りがするので、名を「酔陶」として酒をかけると繁った。のちに女子は成長し、名門に嫁いだ。
陶は部屋に入り、酒と料理を出し、畑の側に席を作り、言った。
「僕の貧は清い戒めを守ることができません。さいわいここ数日で多少のお金を得たので、存分にお供えして酔えますよ」
少しして、部屋の中で呼んだ「サンロウ」
陶はハイと言って行った。急いで捧げ持ってきた美味しそうな肴は、煮たものも炊いたものも、細かいところまで見事に配慮されていた。それで聞いてみた。
「あなたのお姉さんはどうして苗字を変えずにいるの?」
答えて言う「時がまだ至りません」
問う「いつ?」
言う「四十三か月」
また問う「どういうこと?」
笑うだけで言わない。そのまま楽しく飲んで終わった。泊めてもらって後日またそこを訪ねると、新しく挿したものはちょうど背丈が満ちたところで止まっていた。これがあまりにも不思議で、なんとかその技術を教わろうとしたが、陶は言った。
「これはもとより口伝すべきものではありませんし、さしあたり君はそれで生計を立てようというのではないのだから、なんでまたそれを使うのですか?」
また数日たって、門前はがらんと淋しくなったが、すると陶はガマ草のむしろで菊を包み、数台の車に積み込んで出発した。年が過ぎ、春を迎えようとするころ、南部地方から珍しい草木を積んだ車が戻り始めた。街なかに花の店を開き、十日でことごとく売り尽くし、また菊の栽培に戻った。それを訪ねた去年の花を買った者は、その根をそのままにしていたが、次の年にはどれも劣化していたので、それをまた陶のところで買った。
陶はこれによって日ごとに富んだ。一年で建物を増やし、二年で新たな家屋を建てた。気の向くまま心のままにそれを行い、主人に何か相談するということは特になかった。そうするうちに、かつて花の畑だったところは全て通路や小屋になった。さらに塀の外に一区画の土地を買い、四方に囲いを築き、一面に菊を植えた。秋になると花を積んで去り、春まで帰らなかった。
3. 黄英
そのうちに馬の妻が病気で亡くなった。黄英には思いを寄せていたので、ひそかに人を通じてそのことを、それとなく知らせた。黄英は少し笑って、許可の意を示した。ただし陶が帰る時節、それのみ。
一年あまり、陶はついに帰らなかった。黄英は使用人に菊を植えるよう指示した。陶と同じであった。金益を得て商売を広げ、村外に二十所の美田を管理し、邸宅はますます盛んであった。そんなときに客人があった。南京よりもさらに西から来ていて、陶氏の書簡を届けた。開けてみるとそこに「姉に頼む、馬に帰せよ」と。その書面の日付を考えると、ちょうど馬の妻が亡くなった日だった。この地で酒を飲んだ思い出の日から、まさに四十三か月である。じつに不思議であった。書面を英に示し、請うて問う「お招きはどこへ」英は辞退し受諾しなかった。また古い住まいは狭いからと、南の屋敷への就居を欲したが、これは贅沢であった。馬はそれではいけないと、吉日に妻を訪ね、礼をもって迎えた。
黄英はすでに馬になじんでおり、間の壁に扉を開け、南の屋敷へ通れるようにして、日々その従者を使った。馬は妻の富を恥じ、いつも黄英に、南は農地にして北に住むようにと頼み、それによって混乱に逆らった。それでも家で要るものがあれば、黄英はすぐに南屋敷から取ってきた。半年もせずに、家中の物品はみな陶家のものになった。馬は立って人をやり、いちいちそれを持って帰らせ、もう二度と取ってくるなと注意したが、十日もしないうちにまた混ざってきた。だんだん数が増え、馬の悩みは尽きない。黄英が笑って言う「やせがまん陳仲子氏の母の労か?」馬は恥じ、二度とあれこれ言うことなく、すべて黄英の言うことを聞いた。職人を集め資材を揃え、大規模な工事をしたが、馬は止めることができなかった。
数か月が経つと、楼閣が垣根を連ね、二つの屋敷には境界がなくなって一つになり、見分けがつかなくなったのだった。そうして馬の教えに従い、門を閉じて菊業には戻らず、しかも享楽が過ぎるという名家ぶりであった。
馬はこれでいいとは思わず、言った。
「僕は三十年清徳、あなたのためにここ累々となった。今は見て息するだけの人間で、ただスカートベルトに従いかつ食べる、真に一毛の男気もなしかな。人みな富を祝う、我ただ窮を祝うのみだ!」
黄英が言う。
「妾は貧でも鄙でもない。ただし豊満に足りない、ついに千載の使用人に命じた。詩人陶淵明が言う、貧賤の骨は百代に発跡能わず。故にさしあたり我が家なすところ古人彭澤氏の言い訳のみ。それで貧者が富を願えば難しく、富者が貧を求めるはもとよりまたとてもたやすい。枕元の金を君に渡せばこれを振り捨てる。妾は吝ではないです」
馬が言う「他人の援金、また良か醜か」
英が言う「君は富を願わない、妻また貧できない。きりがない、あなた別居しましょう。清い者は自ら清く、濁る者は自ら濁る。何が悪いか?」
こうして園中に茅と茨の家を建て、美婢を選び馬に仕えさせる。馬はそれでいいと思ったが数日が過ぎて、黃英が気になって苦しい。招くのはいけない、それなら訪ねるしかない。やがて宿するに至りそれが常となる。黃英が笑って言う「東の富豪で食し、西の美男に宿す。清廉の富はこの如くあらず」馬も自笑し反せず、ついに再び同居となり始めの如し。
4. 菊精
馬に用事のある客人がいて、南京で会った。ちょうど菊の秋だった。急いで歩いていると花屋がある。店の中を見ると鉢の列が見事に繁っていて、丁寧に枝垂れた絶景である。心が動いて思った、これは陶が育てたのではないか。少しして主人が出てくると、果たして陶であった。喜び極まって、その道の契りは寛く、遂に止まりそこに宿した。帰るよう求めると、陶が言う。
「南京は我が故郷、まもなくここで結婚します。薄いお金が積み重なっていますから、お手数ですが我が姉にお送りください。自分は年の末になったらしばらく帰ります」
馬は聞かず、ますます必死に頼んだ。さらに言う「家には幸せが充ち溢れている、ただ座っているだけでいい、もう売らなくてもいい」
店の中に座り、従者を使って値段を変更し、そのまま安くして、数日でことごとく売った。荷物と服装を迫り促して、舟を雇って北に着いた。門を入ると、すでに姉は部屋の掃除を終えていて、寝台寝具みな整えてあり、まるであらかじめ弟が帰ると知っていたようだった。
陶は帰ると、旅装と荷物を解き、小屋と庭園を大改修し、日々馬と共に碁を囲み酒を飲み、さらに未知の客人とは交わらなかった。このため結婚は辞して願わず、姉が女性を二人その寝室に送り、三四年のうちに女の子が一人。
陶は飲むこともとより豪で、したがってその深酔を見ることはなかった。友人がいて曾といい、これもまた無双であった。馬ではかなわなかったので、馬は陶と同席させて互いに飲むのを比べさせた。二人はどんどん飲んでとにかく喜んで、互いに会うのが遅かったと悔やんだ。朝の八時から煩悩の尽きるまで、それぞれ百壺分すべてに達した。曾は爛酔して泥のようになり、座敷で沈睡した。
陶は起きて寝に帰った。門を出て菊のあぜ道を踏んでゆくと、玉の山は傾き倒れ、服を横に置いたまま、そのまま地上で菊に変わった。高いこと人間のようであり、花が十あまり、みな大きくて拳のようである。馬は驚愕し、黃英に知らせた。英は急いで来て、抜いて地上に置いて言った「どうしてここまで酔った!」
服で覆い、馬に立ち去るよう求め、見ないようにと戒めた。すでに明けてまた行くと、陶があぜに臥せていた。
馬はそのときに悟った。姉弟はふたりとも菊の精なのだと。そして益々彼らを敬愛した。
こうして陶は自ら正体を露し、ますます飲み放題となり、常に自ら手紙を折り曾を招き、よって共に逆らうことなし。花の頃になり、曾が来訪すると、二人の使用人に薬浸の白酒を一壇に担がせ、共々にことごとくしようと約束した。壇まさに渇し、二人はなおまだひどくは酔っていなかった。馬が密かに一瓶を注ぎ足すと、二人はまた完飲した。曾は酔ってすでにつぶれていたので、男達がこれを背負って帰った。
陶は地面に臥せ、また菊に変わった。馬は見慣れていたから驚かず、作法どおりにそれを抜くと、傍らで見守ってその変化を観察した。しばらくすると、葉はどんどん憔悴していった。大いに畏れ、ようやく黄英に告げた。英は聞くと愕然として言った「私の弟を殺したのです!」
走っていって見ると、根株はすでに枯れている。痛絶の気持ちで、その茎を爪先で摘んで、盆の中に埋めて、奥の間に運び入れ、日々これに水をやった。馬は悔恨で死にたくなり、曾を深く恨んだ。数日がたって、聞けば曾はすでに酔って亡くなったという。
盆中の花はしだいに萌え、九月にはすでに開いて、短い幹に純白の一輪。これをかおると酒の香りがするので、名を「酔陶」として酒をかけると繁った。のちに女子は成長し、名門に嫁いだ。
黄英は老いて生涯を終え、また他の人と異なるところはなかった。
異史氏が言う。
「青山白雲の人、ついに酔に死す。世ことごとくこれを惜しみ、また未だ必ずしも自らもって快としないのである。その種を庭に植えると、良き友を見るようで、麗しき人を見るようで、探さないわけにはいかないものである」

異史氏が言う。
「青山白雲の人、ついに酔に死す。世ことごとくこれを惜しみ、また未だ必ずしも自らもって快としないのである。その種を庭に植えると、良き友を見るようで、麗しき人を見るようで、探さないわけにはいかないものである」
(完)

《原語》
黃:黄の旧字体
順天:北京一帯の古名「順天府」(1403-1914)
金稜:南京の古名
油碧車:貴人女性が乗る、滑らかな光沢の緑青色幕を張った車
河朔:河北省。北京を囲む地域
卜居:占い(卜占)で決めた場所に住むこと
黃花:菊花
東籬:陶淵明の詩『飲酒』から「東の垣根で菊を摘み、南の山を悠然と見る」
南中:雲南省、貴州省あたり
陶淵明:詩人(365-427)
彭澤解嘲:嘲笑への弁明
東食西宿:東の醜男の富家で食べて西の美男子の貧家に宿まる、理不尽な貪欲
辰:朝八時を中心とする二時間
四漏:四つの煩悩
玉山:美しい人物。台湾の最高峰、3,997メートル。日本統治時代「ニイタカヤマ(新高山)」
《その他》
千里:4,000キロメートル
北京〜南京:1,000キロメートル≒青森~岡山
《原文》
黃英
1
馬子才,順天人。世好菊,至才尤甚,聞有佳種必購之,千里不憚。一日有金陵客寓其家,自言其中表親有一二種,為北方所無。馬欣動,即刻治裝,從客至金陵。客多方為之營求,得兩芽,裹藏如寶。2
歸至中途,遇一少年,跨蹇從油碧車,豐姿灑落。漸近與語,少年自言:「陶姓。」談言騷雅。因問馬所自來,實告之。少年曰:「種無不佳,培溉在人。」因與論藝菊之法。馬大悅,問:「將何往?」答云:「姊厭金陵,欲卜居於河朔耳。」馬欣然曰:「僕雖固貧,茅廬可以寄榻。不嫌荒陋,無煩他適。」陶趨車前向姊咨稟,車中人推簾語,乃二十許絕世美人也。顧弟言:「屋不厭卑,而院宜得廣。」馬代諾之,遂與俱歸。第南有荒圃,僅小室三四椽,陶喜居之。日過北院為馬治菊,菊已枯,拔根再植之,無不活。然家清貧,陶日與馬共飲食,而察其家似不舉火。馬妻呂,亦愛陶姊,不時以升斗饋恤之。陶姊小字黃英,雅善談,輒過呂所,與共紉績。陶一日謂馬曰:「君家固不豐,僕日以口腹累知交,胡可為常!為今計,賣菊亦足謀生。」馬素介,聞陶言,甚鄙之,曰:「僕以君風流雅士,當能安貧;今作是論,則以東籬為市井,有辱黃花矣。」陶笑曰:「自食其力不為貪,販花為業不為俗。人固不可茍求富,然亦不必務求貧也。」馬不語,陶起而出。自是馬所棄殘枝劣種,陶悉掇拾而去。由此不復就馬寢食,招之始一至。未幾菊將開,聞其門囂喧如市。怪之,過而窺焉,見市人買花者,車載肩負,道相屬也。其花皆異種,目所未睹。心厭其貪,欲與絕;而又恨其私秘佳種,遂款其扉,將就消讓。陶出,握手曳入。見荒庭半畝皆菊畦,數椽之外無曠土。劚去者,則折別枝插補之;其蓓蕾在畦者,罔不佳妙,而細認之,盡皆向所拔棄也。陶入室,出酒饌,設席畦側,曰:「僕貧不能守清戒,連朝幸得微資,頗足供醉。」少間,房中呼「三郎」,陶諾而去。俄獻佳肴,烹飪良精。因問:「貴姊胡以不字?」答云:「時未至。」問:「何時?」曰:「四十三月。」又詰:「何說?」但笑不言,盡歡始散。過宿又詣之,新插者已盈尺矣。大奇之,苦求其術,陶曰:「此固非可言傳;且君不以謀生,焉用此?」又數日,門庭略寂,陶乃以蒲席包菊,捆載數車而去。逾歲,春將半,始載南中異卉而歸,於都中設花肆,十日盡售,復歸藝菊。問之去年買花者,留其根,次年盡變而劣,乃復購於陶。 3
陶由此日富。一年增舍,二年起夏屋。興作從心,更不謀諸主人。漸而舊日花畦,盡為廊舍。更於墻外買田一區,築墉四周,悉種菊。至秋載花去,春盡不歸。而馬妻病卒。意屬黃英,微使人風示之。黃英微笑,意似允許,惟專候陶歸而已。年餘陶竟不至。黃英課僕種菊,一如陶。得金益合商賈,村外治膏田二十頃,甲第益壯。忽有客自東粵來,寄陶生函信,發之,則囑姊歸馬。考其寄書之日,即馬妻死之日;回憶國中之飲,適四十三月也,大奇之。以書示英,請問「致聘何所」。英辭不受採。又以故居陋,欲使就南第居,若贅焉。馬不可,擇日行親迎禮。 4
黃英既適馬,於間壁開扉通南第,日過課其僕。馬恥以妻富,恆囑黃英作南北籍,以防淆亂。而家所需,黃英輒取諸南第。不半歲,家中觸類皆陶家物。馬立遣人一一齎還之,戒勿復取。未浹旬又雜之。凡數更,馬不勝煩。黃英笑曰:「陳仲子毋乃勞乎?」馬慚,不復稽,一切聽諸黃英。鳩工庀料,土木大作,馬不能禁。經數月,樓舍連垣,兩第竟合為一,不分疆界矣。然遵馬教,閉門不復業菊,而享用過於世家。馬不自安,曰:「僕三十年清德,為卿所累。今視息人間,徒依裙帶而食,真無一毫丈夫氣矣。人皆祝富,我但祝窮耳!」黃英曰:「妾非貪鄙;但不少致豐盈,遂令千載下人,謂淵明貧賤骨,百世不能發跡,故聊為我家彭澤解嘲耳。然貧者願富為難,富者求貧固亦甚易。床頭金任君揮去之,妾不靳也。」馬曰:「捐他人之金,抑亦良醜。」英曰:「君不願富,妾亦不能貧也。無已,析君居:清者自清,濁者自濁,何害?」乃於園中築茅茨,擇美婢往侍馬。馬安之。然過數日,苦念黃英。招之不肯至,不得已反就之。隔宿輒至以為常。黃英笑曰:「東食西宿,廉者當不如是。」馬亦自笑無以對,遂復合居如初。 5
會馬以事客金陵,適逢菊秋。早過花肆,見肆中盆列甚繁,款朵佳勝、心動,疑類陶制。少間主人出,果陶也。喜極,具道契闊,遂止宿焉。要之歸,陶曰:「金陵吾故土,將婚於是。積有薄資,煩寄吾姊。我歲杪當暫去。」馬不聽,請之益苦。且曰:「家幸充盈,但可坐享,無須復賈。」坐肆中,使僕代論價,廉其直,數日盡售。逼促囊裝,賃舟遂北,入門,則姊已除舍,床榻裀褥皆設,若預知弟也歸者。陶自歸,解裝課役,大修亭園,惟日與馬共棋酒,更不復結一客。為之擇婚,辭不願。姊遣二婢侍其寢處,居三四年中一女。陶飲素豪,從不見其沉醉。有友人曾生,量亦無對。適過馬,馬使與陶相較飲。二人縱飲甚歡,相得恨晚。自辰以迄四漏,計各盡百壺。曾爛醉如泥,沉睡座間。陶起歸寢,出門踐菊畦,玉山傾倒,委衣於側,即地化為菊,高如人;花十餘朵,皆大如拳。馬駭絕,告黃英。英急往,拔置地上,曰:「胡醉至此!」覆以衣,要馬俱去,戒勿視。既明而往,則陶臥畦邊。馬乃悟姊弟皆菊精也,益敬愛之。而陶自露跡,飲益放,恆自折柬招曾,因與莫逆。值花朝,曾乃造訪,以兩僕舁藥浸白酒一壇,約與共盡。壇將竭,二人猶未甚醉。馬潛以一瓶續入之,二人又盡之。曾醉已憊,諸僕負之以去。陶臥地,又化為菊。馬見慣不驚,如法拔之,守其旁以觀其變。久之,葉益憔悴。大懼,始告黃英。英聞駭曰:「殺吾弟矣!」奔視之,根株已枯。痛絕,掐其梗,埋盆中,攜入閨中,日灌溉之。馬悔恨欲絕,甚怨曾。越數日,聞曾已醉死矣。盆中花漸萌,九月既開,短幹粉朵,嗅之有酒香,名之「醉陶」,澆以酒則茂。後女長成,嫁於世家。黃英終老、亦無他異。
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異史氏曰:「青山白雲人,遂以醉死,世盡惜之,而未必不自以為快也。植此種於庭中,如見良友,如見麗人,不可不物色之也。
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